各CD評全文


エリザベス朝のリュート・バラード/佐野健二

《現代ギター》 2001年9月
16世紀エリザベス王朝期のイギリスで愛唱された旋律は、器楽の素材としても多く
扱われた。それらの作品を、関西を中心に活躍する佐野健二がリュートとオルファリオン
(リュートと同じ調弦で金属弦を使用、そのユニークな形状はジャケットをご覧いただきたい)
で演奏したアルバム。佐野の演奏はきわめて明快であり、1音1音は明瞭に発音され、
〈ハンスドン〜〉のような明るく軽快な曲では生き生きとしたリズム感で活力ある演奏を繰り広げる。
古楽器に対してこういう言い方は不適当かもしれないが、現代的でシャープな
印象を受ける。それは古楽器でないということではなく、現代おける古楽器演奏のひとつのあり方と
言えるだろう。もちろん〈ラクリメ〉などの叙情的な旋律の歌い回しも見事なもの。


《レコード芸術》2001年9月
[推薦]
佐野健二さんがリュートとオルファリオンを弾きわけて、エリザベス女王期イギリスのリュート作品を
たっぷり演奏しておられる。曲はおなじみのジョン・ダウランド(1563〜1626)の
《彼女は許してくれるか》《ウオルシンハム》などの有名曲を中心に、
心なつかしいフランシス・カッティング編曲の《グリーンスリーブス》、
トマス・ロビンスン(1589〜1609ごろ活躍)の《アルメイン》、
アンソニー・ホルボーン(?〜1602)の《ミューズの涙》などの21曲。
 佐野さんは父上が邦楽、母上が洋楽のご家庭に育たれ、イギリスのギルドホール音楽院に留学された。
ここでリュートをアンソニー・ルーリーとナイジェル・ノースに師事して、現在は関西を中心に活躍しておられる。
 この種のリュート曲の演奏はともするとメロディを追うことに終始して叙情に溺れやすく、
音楽の芯が流されがちのところを、佐野さんは作品の構成を重視して線が太く厚手、
リズム感はたしかでその上に立ってきめこまかく歌にみちた音楽を作り上げておられる。
特にダウランドの《ラクリメ》やロビンスンの《スペインふうパヴァーヌ》などに
佐野さんの持ち味が発揮されるようである。
世にゴマンとある「エリザベス朝のリュート音楽集」とは一味も二味も異なったユニークな演奏として注目したい。
 ただひとつあえてないものねだりさせていただくと、使用楽器にかんして
一般的な説明が添えられてはいるものの、もうすこし具体的なデータがほしかった。
演奏がよいだけに、どのような楽器で奏されているのかを知りたいのである。
ついでにもう一声、邦楽と洋楽のご両親が具体的に何を専門とされておられるのか、そうしてそれを
佐野さんはご自分の音楽のなかにどう受けとめておられるのか、これも知りたい。
少年時代に邦楽をたたき込まれ、その後に洋楽に向かったわたくしにとって、
邦楽と洋楽の出会いは決して他人事とは思えない問題なのである。
<皆川>

[準推薦]
佐野健二のリュートを、もうわたしは十年近く聴いているように思う。
よき伴侶ソプラノの平井満美子との共演で出したダウランドのリュート歌曲集や
イギリス民謡を集めた「スカボロ・フェア」、最近は「パーセル つかの間の音楽」などが記憶に残る。
つのだたかしや、イギリス留学時代からの友人フィールズを第二リュートで支えたり、
多くの人から評価され、信頼されてきた人柄である。
共演したCDのなかにときおり顔を覗かせるソロを除いて、この人だけのアルバムというのを、
そういえば、わたしは今まで聴いたことがなかった。
 1974年から77年までロンドンのギルドホールで、ルーリーやノースに師事して学んだ佐野は、
わが国ではこの楽器の草分けのひとりだ。
今回のアルバムは、7コース・ルネサンス・タイプのリュートと、金属弦のオーファリオンを手に、
ダウランドの《行け、わが窓より》から始まり、同じダウランドの《ラクリメ》に終わる21曲。
例の《グリーンスリーブス》ほか当時の人たちが歌ったバラードをアレンジした曲を
プログラムの軸に据えたところから「エリザベス朝のリュート・バラード」という題が付けられている。
 一音符もおろそかにしない誠実さがある。テクスチュアがよく聴き取れるだけでなく、
ひとつひとつの音の強弱、立ち上がり、微妙な音の震え、余韻にまで気を配った行き届いた演奏だ。
こまやかな動きを含む曲を聴けば、テクニックの冴えは十分にわかるのだが、
テクニックだけで見せ場を作ろうとはしない。
それより歌うことが、この人にとっては、なにより大切なことのように思える。
全体にゆったりとした構えである。今の世の中で、こうした音楽に接することができるのは、嬉しいことだ。
ただ、裏返して言うと、やや刺激に乏しく、聴き耳をそばだてさせる要素が少ないということになる。
<服部>

[録音評]
 99年12月、山梨県、牧丘町民文化ホールで録音。適度な距離感をおいてリュートが
中央に誇張のない大きさの音源を広げ、豊かな響きがもやもやしないため、その音源
の輪郭をよく聴きとれ、肉づきがよく、つややかで、張りのある美しい音色が、指が
弦をこするノイズとともに明瞭。音場感にいささかも不自然さがない。透明で純粋、
優雅な音色に耳を洗われる思いがするCDだ。〈93点〉三井



パーセル/歌曲集 平井満美子(S) 佐野健二(アーチlute、luteアティオルパート)

《レコード芸術》2000年8月
[推薦]
ソプラノの平井満美子さんとリュートの佐野健二さんが、ヘンリー・パーセル(1659〜95)の
歌曲をふんだんに聴かせてくれる。
CDのタイトルになっている、ジョン・ドライデン(163一〜1700)の『オイディプス王』による〈つかの間の音楽〉はじめ、
ダウランドに基づく〈なんて悲しい運命〉、ご存じ《ダィドーとイーニアス》から
〈私が死んだとき〉など、器楽曲もふくめて20曲をおさめている。
 平井さんの声は必ずしも透明清澄ではないにしても、それがかえってイギリス・バロックの
パーセルに似つかわしい。高音域と低音域とで音色に格段の相違のある彼女の声の特徴を意識して生かし、
パーセル特有のドラマを作りあげてゆく。
 淡々としたなかに表現の幅ひろく、あたたかくて滋味あふれた熱唱である。〈ダィドーの嘆きの歌〉の
あざやかさもさることながら、〈わが苦悩のすべて〉や〈バラよりも甘く〉などに、
彼女のよさが十二分に発揮されている。
 その平井さんを支える佐野さんのリュートの動きもまことに立派。
この楽器のために編集された〈ダウランド〉や〈シャコンヌ〉など、造形感たしかで傾聴にあたいする名演奏である。
<皆川>

[準推薦]
イギリスのオルフェオと呼ばれたパーセルの歌18曲を、ソプラノ平井満美子、
リュート佐野健二の琴瑟あい和す演奏で楽しめる。透明な美しい声に加えて、
言葉がよく歌えていることをまず称賛したい。カナをふって歌うのとは違った手応えがあり、
ことばの背後からにじみ出るわだかまる気分やかげろう気分がみごとに捕らえられている。
そのなかから匂い出るのは、パーセル特有の高貴なメランコリーだ。
 歌声を支える佐野のリュートもなかなか立派である。
幸か不幸か、パーセルはリュート・ソロの曲は残していない。
ちょっとした息抜きに彼が弾いている二曲の器楽曲も、もとはチェンバロ曲だったり、
トリオの作品だったりだが、佐野は原曲のスタイルと気分を損なわずに、ちゃんと弾いている。
それだけの腕があるから、元は弦楽の伴奏、オブリガート付き、あるいは通奏低音だけといった
いろんなスタイルの曲を、上手にリュート一本にアレンジして即興的な呼吸も交えながら、支えているのだ。
歌を誘い出すことはあっても、けっして妨げない呼吸は見事である。
 こうした声とリュートだけという、ほんとうに室内的でアンティームなパーセルが、たしかにあってもよい。
ただルネサンスのリュート歌曲とは違って、バロック的な通奏低音を前提としたパーセルの歌は、
もう少しくっきりと低音の線が浮かび出たほうが、緊張感をはらんで充実して聴こえる。
とくに同じ音型を低音でくり返すダウランドのタイプの曲がそうで、まさにそのジャンルに、
ディドの辞世の歌をはじめ名曲が多いのだ。
聴きながら、できたら、ヴィオール一本でよいから低音弦がほしいと思った。
<服部>

[録音評]
大きく広い空間を思わせる残響感に包まれ、中心よりわずかに左にソプラノ、
右後ろにリュートというサウンド・ステージ。たっぷりとした残響感は低域で膨らむこともなく、
発声やSの発音も十分なエネルギー感で聴かせ、歌詞も明瞭に聴き取れる絶妙なバランス。
ただ、この残響感は個性的で、全体を支配しているために、いくぶん単調さをのぞかせる。〈90〉石田



イングリッシュ・キャロル・ブック/愛は蘇る
 平井満美子(vo) 佐野健二(lute、オルファリオン、ベル)


《レコード芸術》1997年3月
[準推薦]
 英語によるキャロルを集めて、ソプラノの平井満美子さんが独唱している。
音楽史のうえで「イングリッシュ・キャロル」というと、狭義には、14世紀から15世紀の前半にかけて
英国で作られたラテン語と英語の混合による、単声から四声のあいだを移り動く
半ポリフォニー半ホモフォニー楽曲(必ずしもクリスマスに関係をもつとは限らない)を意味する。
 しかしここで歌われているのは、慣習的な意味での歌曲ふうの平明かつ単純なキャロル17曲である。
一九二八年出版の『オックスフォード・キャロル・ブック』から選び出された楽曲だそうで、
近代的な色彩がつよく、それだけにこのCDの音楽史レコードとしての性格はかなり薄まる。
 額縁の構えはたいして大きくなく、地味で純朴な楽曲集だが、主の御降誕を迎えた庶民の
あえかな喜びが慎ましく歌いあげられている。その心に染み入る無垢の訴えが、
平井さんの透明な美声にのせられてしっとりと流れだしてくるのである。
伴奏の佐野健二さんはリュート、オルファリオン、フィーデルなどを鮮やかに使いわけて、
時には好ましいリードぶりをみせ、心なごむアンサンブルを音楽性ゆたかにくり広げてゆく。
とくに抒情的な〈東国の三人の王〉や〈向こうの森の中に〉などに、
しみじみとした情感がこめられている。
<皆川>

[準推薦]
ソプラノの平井、リュートの佐野のコンビは、今までにもすがすがしい共感をよぶCDを出してきた。
今回の「愛は蘇る」も好ましい気持ちに聴き手をひたらせる。
ブックレットの最初に網干毅による読みやすい導入の小論があって、
イングリッシュ・キャロル・ブックの世界が目の前に開けてくる。
本来は踊ったり、行列を組ながら歌った民衆の歌で、クリスマスに歌われる曲が圧倒的に多いが、
その他の宗教的な機会に歌われる曲も含まれていることがよくわかる。
 いわば野の花のような曲の数々を、平井はノン・ヴィブラートの素直な声と素朴な表情で歌う。
それがキャロルの世界にしっとりとマッチして快い。
大向こうを唸らせるオペラの名歌手だったら、こうはいかないだろう。もっとしつこく曲を作るからだ。
佐野の伴奏も、リュート、フィーデル、オルファリオンを弾き分けて、控えめながら、
ひとつひとつの曲想に応じた、こまやかな動きを見せている。
浄らかな宗教的リリシズムにあふれた〈われら東国の三人の王〉、フィーデルのドローンの上で語るように
始められる〈ウェックスフォード・キャロル〉、世の罪を背負うために犠牲となるべき運命を担った
幼子イエスへの子守歌〈コヴェントリー・キャロル〉など、そこに見られる優しさや哀惜の念は、
民衆の中に深く根ざしたキリスト教文化の深みから沸き出したものだ。
華やかさはないが、しみじみと聴かせるCDである。
<服部>

[録音評]
 ソプラノも伴奏楽器もクリーンかつクリアに捉えながら、静かな雰囲気が曲趣に合っている。
歌を近めに捉えているが、声も、持ち換えられる楽器も自然な佇まいで、
伴奏楽器の距離感や音量感もリアル。音場感も自然。シンプルな収録手法を感じさせる。
演奏雑音が起きやすいリュートのS/Nの良さは驚異的だ。九五年十月、秩父ミューズパーク音楽堂での収録。〈95点〉



カッチーニ/アマリッリ麗し 平井満美子(S) 佐野健二(キタローネ、lute)

《レコード芸術》1993年1月
[準推薦]
  ジュリオ・カッチーニ(1550ごろ〜1618)の《新音楽》(1602、1614年)から有名な〈アマリッリ麗し〉を
はじめとして〈恵みふかい幸せな瞳よ〉〈もう戦いをやめておくれ〉など、さらにイタリアで活躍した
ドイツ出身のヨハンネス・ヒエロニムス(ジョヴァンニ・ジロラモ)・カプスベルガー(1575ごろ〜1650ごろ)による
《トッカータ》などのリュート独奏曲をとりまぜて、全部で17曲をおさめたCDである。
 演奏しているのはソプラノの平井満美子さんと、リュート、キタローネの佐野健二氏。
平井さんの声はカークビーゆずりで、しかも表情にあふれてドラマをはらみ、この種の作品にうってつけである。
これであと一つ、その声を大きな一本の流れのなかに収斂してゆけたら、もうなにも言うことはない。
そうした平井さんを夫君の佐野氏が息をあわせて支え、
文字通りに「琴瑟相和す」好ましいアンサンブルを作りあげている。
とくに興味ふかいことは〈アマリッリ麗し〉に即興風の複雑な装飾をほどこした演奏
(佐野氏執筆の解説によると、ドイツのヨハン・ナウヴァッハの1623年の曲集が典拠という)が
併せておさめられていることで、これによって当時の声楽演奏の様相が具体的に理解されるように工夫されている。
この曲の器楽編曲を対比させたCDはよく見られるにもかかわらず、声楽曲相互の対比はたいへん珍しく、
有用でありがたい企画である。
<皆川>

[準推薦]
 バロックの扉を開いたモノディア様式の歌曲集としてのカッチーニの《新音楽》(1601)ほど有名な作品はない。
このCDは《新音楽》とその続編である《新音楽第二歌曲集》(1624)の両方から
〈恵み深い幸せな瞳よ〉ほか13曲をソプラノの平井が歌ったものである。
キタローネとアーチリュートで佐野がそれを支え、プログラムの冒頭にはカプスベルガーのプレリュードを、
途中では二曲のトッカータを弾いて、精彩を添えている。
いわゆるイタリアン・ソングの一曲として広く知られる〈アマリッリ麗し〉もむろん歌われているが、
このCDで面白いのは、リコーダーやチェンバロのソロにまでアレンジされたこの名曲に、
ドイツのナウヴァッハが手を加え、ゆたかな装飾を施したいわゆるフローリッド・ソング版が
一緒に取り上げられていることだ。
 平井さんの声はきれいに澄んだ張りのある声で、微妙なイントネーションと修飾をつけながら、
歌詞を重んじて一曲一曲を丁寧に歌っている。
みずから歌い手でもあったカッチーニは《新音楽》の序文に詳細な歌唱法の指示を与えているが、
それを参照しても、なお実際に声で表現するとなると、なみなみならぬ研鑽が必要になる。
比較的単純なアリア(有節歌曲)のタイプの曲より、敢えていっそう微妙な表現が要求される通作形式の
ソロ・マドリガーレのタイプの曲を積極的に取り上げているのも、研鑽のあかしと言えよう。
もし、言うなら、高音域でやや声の質が固い。
 伴奏の佐野は三つの歌で、趣味の良い即興的な間奏を入れている。〈燃えよ、わが心〉はその一例で、
平井の装飾的唱法も、この曲はとりわけ流麗である。
<服部>

[録音評]
 1992年6月、秩父音楽堂ホールで録音。音像の輪郭はわずかにはっきりしないところがあるが、
ほぼ中央に定位するところでもよく伸びきって、つややかさやなめらかさはまったく失われない。
その右側のやや控えめな伴奏古楽器のやや地味な音色も清澄で、どちらも美しい。
初めて名を聞くホールだが、豊かな響きに不自然さをほとんど感じさせない。〈90点〉



17世紀イタリアのデュエット集 トゥー・バイ・トゥー

《レコード芸術》1992年8月
[準推薦]
 ソプラノの平井満美子さんとリュートの佐野健二さんご夫妻による共演は、たとえば
「流れよ、わが涙」(CSD12)などからも明らかなように、その息のあった好演奏でつとに定評あるところか、
海外進出とでもいうのか、ソプラノのイヴリン・タブとマイケル・フィールズの夫妻と組んで、
ソプラノ二重唱を特集している。
題して「トゥー・バイ・トゥー」、まことに結構な企画のCDである。
モンテヴェルディの《ポッベアの戴冠》の最期に歌われる、例の〈ただあなたを見つめ〉
(ただしこの二重唱をモンテヴェルディの手になるものではないとする見解もある)を終曲として、
同じくモンテヴェルディの《西風もどり》《来たれ、来たれ》《恵みふかきイエズスよ》など、
カッチーニ(1546ごろ〜1618)の《もどり来よ》、フレスコバルディ(1593〜1643)の《こちらにおいで》など、
14曲を収録している。
 これまた驚くべきすぐれた演奏である。
二人のソプラノは完全に息が合い、表情ゆたかに17世紀イタリアのデュエットを歌いあげている。
楽曲のあちらこちらにちりばめられた不協和音を効果的に生かして、歌詞の内容を恐ろしいまでに強調し、
聞く者にせまってくる。見事な演奏である。
とくにわたくしたちにとって嬉しいのは、17世紀ヨーロッパの音楽を日本人の歌手が
本場出身といわれる歌手と互角に、いや、むしろ圧倒せんばかりの力量で、充実した歌声を披露していることである。
日本の古楽演奏もここまできたのかと、ただただ感慨無量の思いである。
<皆川>

[準推薦]
 トゥー・バイ・トゥー(2×2)を名乗って、二組の夫婦が手を取り合って録音した
イタリア17世紀のデュエット集である。歌い手は、コンソート・オヴ・ミュージックのメンバーとして来日したことがある
イギリスのタブ(ソプラノ)と、日本における古楽の歌い手としてすぐれた活動を続けている平井満美子。
伴奏のリュートほかその系統のさまざまな楽器は、それぞれのご主人であるフィールズと佐野健二が担当する。
フィールズと佐野は、1974〜77年にロンドンのギルドホールで学んだ時以来の仲であり、
タブと平井は1988年に共演して以来デュオを組んでいる。
昨日今日ではない、運命の糸のようなものに結ばれた四人なのである。
 全部で14曲のうち、二人のご亭主がリュートのデュオを聞かせるピッチニーニの《トッカータ》の
タブの独唱にあてられた一曲以外はすべて二重唱で、モンテヴェルディ、ディンディア、カッチーニといった
17世紀の前半に集中した密度の濃いプログラムだ。
面白いのは、ほとんど曲をリュートの重奏で支えているということである。
二人が歌い、二人が呼吸を合わせて伴奏する。
 二人の歌い手の声の質は非常に近い。加えて、平井がタブに師事したこともあって、
このCDには、異質なもののぶつかりあいからくる熱を帯びたものではなく、
自然に色が別れて空にかかる虹をみるような美しさがある。ひとつのものの分身と言った感じさえする。
それは伴奏についても言えることで、うっかりすると一人で伴奏しているように聞こえる。
2×2の境地もここまでくると見事なものだ。
ただCDのタイトルになっている愛の二重唱《ただあなたを見つめ》などでは、
もう少し胸の内が熱くなるものが感じられてもよかったように思う。
<服部>

[録音評]
 1991年4月、福島市の音楽堂ホールで録音。二人のソプラノの距離感がやや遠めで、
しかも電気的に付加されたと思えるような残響音の不自然さも加わり、
ソプラノの音像の位置感はあまりはっきりしない。
声量が大きく盛り上がるところでエコー感が一段と不自然になるが、
人の声らしくなめらかでつややかな歌唱は美しく、にごることはほとんどない。
リュート、ギターなどの伴奏楽器の位置感もはっきりせず、音量も終始かなり控えめだが、
古雅な音色が美しい。〈87〜90点〉



スカボロ・フェア/リュート伴奏によるイギリス・フォークソング集 (廃盤)
 平井満美子(S) 佐野健二(lute)


《レコード芸術》1992年9月 新譜月評 音楽史
[準推薦]
  このCDは純粋な音楽史レコードではない。標題のように、中世やエリザベス王朝期などをふくめて、
イギリスのフォーク・ソングを16曲おさめたものである。《スカボロ・フェア》があれば、
《バーバラ・アレン》や《三羽のからす》があり、《グリーンスリーヴズ》があるといった具合に、
胸にしみいる懐かしい名旋律の数々が次から次へと歌われてゆく。
 演奏しているのは、ソプラノの平井満美子さんとリュートの佐野健二さんのカップル。
平井さんの歌声はカークビーばりに伸びがよく、しかも力づよく、表情ゆたかである。
日本に生まれ、日本で学んだ日本人声楽家がこれほどまでに異国の民謡の言葉と調べとを
完全に自家薬籠中のものにしていることは、もう奇跡的とも評すべき事がらである。
 一曲一曲が実に聞かせる。もちろん夫君佐野さんのリュートがそれを暖かくやさしく支えて、
このすばらしいCDを作りあげている。たとえば《グリーンスリーヴズ》の前奏ひとつ取ってみても、
このリュートあればこそこの歌声ありと納得させられてくる。
このCDは音楽史レコードではないが、しかし音楽を愛するすべての人々に聞かれてほしい、
心の歌をおさめた貴重な音楽のレコードである。
<皆川> 〈録音90〜93点〉



ダウランド/リュート歌曲集 平井満美子(S) 佐野健二(lute) (廃盤)

《レコード芸術》1991年2月
[準推薦]
 おなじみのジョン・ダウランド(1563〜1626)のリュート歌曲を、標題の「流れよ、わが涙」をはじめ、
ひろく知られた「私の恋人が泣くのを見た」、「もう泣くな、悲しみの泉よ」、「語れ、真実の愛よ」など15曲集めて、
二人の日本人音楽家  ソプラノ平井満美子さん、リュートの佐野健二さんが演奏している。
 お二人は関西を中心として活躍している演奏家で、かつてはダンスリー・ルネサンス合奏団のメンバーでもあった。
その後お二人ともイギリスに留学し、平井さんはカークビーにも師事したという。
なるほどカークビーその人の演奏かと思い誤るほどに柔軟で透明な声の持ち主で、
その美声によってダウランドの名旋律が切々と繰りひろげられてゆく。
それを支える佐野さんのリュートもすぐれたものである。
欲をいえば平井さんにもうひとつの隠されたふかい情感の表現があればという思いもなくはないが、
しかし装飾音の用法も適正であり、立派な出来ばえである。
 先月号のこの欄にも書いたことだが、今後の日本の声楽家はこうしたルネサンス、
バロックのジャンルに積極的に進出してゆくべきではないかと思われる。ワーグナーの作品などは
体力的にもいろいろの無理があろうが、これら古楽の分野では日本人の声質や感性が
むしろ大きくプラスに働く可能性があるからである。
事実、このミサワ・レーヴェルのCDで次々に紹介されている新久美さん、村上雅英さん、そうして今回の
平井満美子さんと、皆さん、そんじょそこらのヨーロッパやアメリカの歌手には決して劣らぬ、
いや、それ以上の好演奏を聞かせてくれているのである。
<皆川>

[準推薦]
  日本でもリュート伴奏のダウランドの歌曲集のレコードが出るようになったことに
感慨を覚えずにはいられない。以前、ピアーズが歌い、ブリームがリュートで伴奏した
イギリス・リュート歌曲の名盤に溜息をついたのは、あれはもう三十年以上前のことである。
その頃、やがて日本でも同じようなレコードが出ようとは思っても見なかった。
 ダウランドのリュート歌曲から15曲を歌うソプラノの平井満美子は、神戸女学院で声楽を修め、
イギリスでカークビーの講習を受けるなどした古楽の歌い手、リュートでそれを支える佐野健二も、
イギリスのギルドホール音楽院で古楽を学び、ノースやルーリーに師事した奏者である。
この二人のペアには本場の香りがする。
平井の声は、ノン・ヴィブラートの澄んだ声で美しく、佐野はテクニックに余裕を感じさせ、
前奏や間奏などに見せる即興的な演奏も趣味が良い。加えて、網干氏のしっかりした解説、
金沢氏による見事な対訳が付いていて、いかにも心のこもるCDという感じがする。
日本人奏者によるヨーロッパの古楽という分野に手を付けるだけでなく、
こうした心のこもるCDをリリースするミサワ・クラシックスのポリシーに賛意を表しておこう。
 ただ褒めすぎないために言っておくと、ダウランドの音楽を美しいものにしているメランコリーを
どれだけ深く歌いこむかという点から見ると、まだまだ研鑽の余地がある。
例えば《悲しみよ、とどまれ》で、幾度も繰り返される〈憐れみ〉の言葉は、
万感の思いがこもる筈だが、それがもうひとつ確かに伝わって来ない。
美しく澄んだ声で歌うだけでなく、濃やかな肌合いに血が通い、おのずから思いの滲む歌であって欲しい。
<服部>

[録音評]
 1990年4月、福岡市音楽堂で録音。第一曲のリュートのソロ曲、つづくソプラノによる歌曲の
いずれでもリュートが中央やや左寄りにやや遠めに定位、控えめだが清澄でやわらかな音色が美しく、
歌曲ではほぼ中央に登場するソプラノは音像の輪郭がやや聴きとりにくいところはあるが、
極く豊かな響きをともなってつやっぽく、肌ざわりがビロードのようになめらかで
やわらかな歌唱の美しさには魅了される。まるでソフト・フォーカスの、
色調やコントラストのやわらかな写真を見るような音場が展開され、耳あたりがたいへんこころよい。〈90〜93点〉

《COMO》1991年3月
三枝成彰 コラム「僕だけの秘曲」
 今回ご紹介するのは、音楽とは一見何の関係もないと思われる住宅メーカー・ミサワホームが出している
ユニークで、しかも質のすばらしく高いCDである。(中略)
中でも中世・ルネッサンスの古楽を中心に一昨年からリリースを開始した<心の詩・古楽>のシリーズの
5点はものすごくいい。音と音楽をちゃんとわかった人が大切につくったものだということがひしひしと感じられる。
人を取り囲む空間を美しく満たしてくれるシリーズだ。
特に「流れよ わが涙」と題されたダウランド作曲のリュート伴奏による歌曲集は、
このシリーズの白眉ともいえる名盤だ。リュートなど中世の古楽器を多彩に使い、
ヴィブラートを抑えた奥行きの深い歌唱で中世歌曲を聞かせる<ダンスリー>という合奏団のメンバーである
佐野健二のリュート、平井満美子のソプラノ。リュートの雅やかな調べに乗って流れる歌は、
この上なく美しい。こんなにすぐれたCDが、ベストセラーにならないのはとても残念だと思う。(後略)



EMCRecords  S.Lヴァイス「不実な女 L'Infidele」

《音楽現代》 2007年3月
注目盤

ここの所、邦人リュート奏者のソロ・アルバムのリリースが続いている。ドレスデンの宮廷音楽家でバッハ一家とも親交のあった
リュート奏者ヴァイスは、ライプツィヒのバッハ家を訪問し、度々、「とびきり優雅な音楽会」を催したという。
ここにはそのヴァイスのリュート作品が集められているが、短い即興演奏に続いて本編が始まるというアイデアが気が利いている。
佐野健二はソリストとして、あるいはソプラノの平井満美子とのデュオやアンサンブルの通奏低音奏者として活躍するリューティスト。
十三コース、二十四弦のジャーマン・バロック・リュートを弾いている。
<不実な女>は大英博物館所蔵の、<パルティータ>はロシアのグリンカ博物館所蔵のマニスクリプトを用いるなど
周到な学問的研究に裏付けられた演奏は、華やかなヴィルトゥオジティの魅力とは違うものの、
これまでの音楽家、研究家、製作家としての研鑽とキャリアの積み重ねを感じさせるものだ。
(那須田務)

《現代ギター》 2007年3月号
ディスクを再生すると、まず聴こえてくる低音弦の長く豊かな響きは、即興で弾かれる30秒のプレリュード。
このギターには持ち得ない余韻こそが、ギタリストをしてその演奏にまで駆り立てるリュートの魅力なのだろう。
イギリスでブリームにもレッスンを受け、モダンギターと古楽の両ジャンルに亘って活動する演奏家・佐野健二が、
13コース24弦の大型リュート、テオルボを使って2つの組曲をとりあげた。近年、録音や研究(つづりはSiliviusが正しいとの説も)に
充実を見るヴァイスの音盤に加わった新たな1枚だ。
ギター編曲でも馴染みの<不実な女>、もう1曲の6楽章30分を要する<パルティータ>は、ニ長調と表記されているが、
響きは渋く重厚なもの。快速調<クーラント><プレスト>など真に壮麗である。
(高橋望)

《Stereo》 2007年3月号
今月の優秀録音盤
佐野健二のバロック・リュートによるリュート音楽の巨匠、ヴァイスの作品集「不実な女」は、新たに創立されたEMCレコード第1弾。
収録は2006年、EMCプライベート・スタジオで、間近にリュート音像をクローズアップしたリアルなパターン。
スムーズな弦の立ち上がりから筐体の暖かい響きまで克明に綴られる。
(斎藤宏嗣)

《CDジャーナル》 2007年4月号
ヴァイスはバッハと同時代に活躍したリュートの名手。作曲家としても楽器の響きや特性を知悉した作品を残している。
佐野は長い低音弦を持つ楽器を用い、その多彩だがいくらか渋めの音楽世界をノーブルで落ち着いた響きの味わいで
キラリのときめきにつなげる。
(中野和雄)

《レコード芸術》 2007年7月号
準特選盤

[推薦]
佐野健二は、かねがねリュートおよびその親族楽器のソリスト、アンサンブル奏者、歌手への伴奏家として活躍をつづけてきたヴェテランである。ここで彼が後期ドイツ型のバロック・ルート(14コースを具える)をたずさえ、その時代のリュートの高峰S・L・ヴァイスの名作を聴かせてくれることは喜ばしい。初めに、そのかみの習慣にのっとり、短く”小手しらべ”のインプロヴィゼーションをつまびいたのち、彼はヴァイスの組曲を2つ奏する。ひとつは大英博物館所蔵の手稿から、かつて名匠ドンボワも録音していたこの世界の人気作、ソナタ(組曲)《ランフィデール》すなわち「不実な女」。次いではモスクワに所蔵される手稿の中から《パルティータ》ニ長調。どちらも趣深い作品で、楽器を知悉した者でなくては成し得ない効果---佐野健二自身が執筆するブックレット内解説に見るとおり、これはJ・S・バッハの貴重な”リュート曲”にも望まれないヴァイス独自の利点である---が、されにふところを深くしている。また、ヴァイスの諸作には、型にはまり切らないおもしろさ、良さが息づいていることも指摘されよう。佐野の音色はリュート特有のニュアンスに富んでいると同時に、常にしっかりと張りを保っており、幽玄さから曖昧さへと陥ってはしまわない。たとえ当時はすでにリュ−トの隆盛は諸国で過ぎ去っていたにしても、ヴァイスの音楽にはなおくっきりと、一時代の面影が宿っている。そのことを実際に音で味わわせてくれる、このような名手の録音を、いみじきものとして歓迎したい。
(濱田滋郎)

[準推薦]
ギタリストとして出発し、のちリュートに転じた佐野健二はソリストとしてより以上に、内外一流の歌手たちのすぐれた伴奏者として、かなりの量に及ぶCDにその名を記してきた。ときにその幾トラックかにはソロの芸も聴かせてくれたが、ここにはじめて---といってよいソロ・アルバムを世に問う。
ヴァイスの名は古楽愛好家には言うに及ばずギタリストの間にさえ旧知のものだが、その本来の姿である「バロック・リュート」による演奏がここに聴ける。奏者自身の言葉がブックレットにあるが、ギタリストがこの楽器の分野に挑戦するのはやはり難しい。永年の研究・研鑽によって得た音楽の味をここに披露して、バロック・リュートの音楽がどのようなものなのかを知らしめる姿は尊重されるが、やや録音に問題があるのか暗く、重々しい印象がまさるのはどうしたものか。
選曲も良く、有名なイ短調のソナタ(組曲)《不実な女》とニ長調の《パルティータ》が収められ、同好の士には大いに迎えられるべきだが、この楽器の渋さ、重厚さが合わせ持つはずの、華やかさ、軽妙さをおさえてしまうかの音質はいささか残念。譜面を前に聴けば奏者佐野のテクニックの確かさ、折々見せる即興的な装飾の妙も随所に聴ける好盤といえるが。
(濱田三彦)

[録音表]
線のくっきりした腰のあるサウンドによるリュートの録音である。しかし厚手の残響を適度に取り込むことによって、ドライになったり鮮鋭な硬質感を呼ぶことはない。うっかりすると演奏雑音の多い録音になってしまう点は、リュートとクラヴィコードはほぼ同難度だが、ここでは見事なSN比で収録されている。2006年8月、EMC(アーリーミュージックカンパニー)プライヴェートスタジオでの収録。
<90点>
(神崎一雄)



EMCRecords  イタリアバロック歌曲集「私の涙」

《現代ギター》 2007年7月号
リュートの佐野とソプラノの平井が主宰するアーリーミュージックカンパニー自らが発売する「不実な女」(佐野ソロNo.510参照)に続く第2弾CD。3人の作曲家によるイタリア・バロック期の歌曲7曲、およびリュート独奏で<アリアと変奏>が収録されている。ルネサンスのポリフォニー音楽は、バロック期に入るとより言葉と音楽の関係が重視され、感情の表現に主眼が置かれた音楽へと変化していった。このアルバムに聴かれる曲もたいへんドラマティックであり、詩の内容につれて大きく振幅する歌を、平井は確かな技巧と感情表出で歌い上げ、佐野の伴奏と相まって非常に劇的な音楽となっている。このような良質のアルバムを、今後も発表し続けることを期待したい。
(安倍寿史)


《音楽現代》 2007年8月号
推薦盤
数少ない古楽の歌い手として活躍している平井満美子とリュート奏者佐野健二によるイタリア・バロック歌曲。このデュオはすでにルネッサンスやバロックの歌曲のCDを多数出していて、どの作も立派な成果をあげているという。澄みきった美しいノン・ヴィブラートの声そのものの魅力に加えて、このバロック歌曲では驚くばかりの感情表現、つまり「歪んだ真珠」という喩えにふさわしい、人の心にダイレクトに届く魂の燃焼が聴き取れるのである。また、彼女の歌を支え、またあるときはこれまた豊かなニュアンスで演奏する佐野のリュートのかそけき音色。「私の涙」はバルバラ・ストロッツィ(1619〜77)の作品だが、和声や転調の激しさなどこの時期の音楽の特徴を示している。あとのフレスコバルディやカリッシミといった作曲家の作品にも多くの共感をもって歌いだされているこのCDは、声高に叫ぶことの現代のオアシスと言えるのではないだろうか。
(保延裕史)


《レコード芸術》 2007年8月号
準推薦盤


[準推薦]
ソプラノの平井満美子さんとリュートの佐野健二さんのコンビによる『イタリア初期バロック歌曲集』である。ジロラモ・フレスコバルディ(1583〜1643)、ジャコモ・カリッシミ(1605〜74)、バルバラ・ストロッツィ(1619〜64以降)の3人の歌曲作品前7曲を延々と聞かせる。とくにストロッツィの作品が5曲もあり、『ラグリメ・ミエ(私の涙)』というCDタイトルもこの女流音楽家の歌曲によっている。
ヘンリー・パーセル(1659〜95)の《ダイドーとイーニアス》中の有名な<わたしが死んだ時>にも共通する「恨み節」を中核にして、平井さんの的確な語りが悲愴感あふれる説得力を持って迫ってくる。時というのは味なもので、平井さんの声の透明感はやや後退していることを否めない面があるにしても、表現力ははるかに増大し、この好唱を生みだしている。イタリア語歌詞のすべてが平井さんによって訳出されている一事からも、言葉と音楽の読みのなみなみならぬ深さを推測させる。
大型アーチリュートと、小型のリウト・アッティオルバートを使い分ける佐野さんは楽曲の構成をしっかりおさえ、声と楽器の協調を支えてゆく。凝りに凝った作品が集められ、ちょっとやそっとの力量の演奏家では扱いかねる音楽だけに、ヴェテランのご両所によって現出される世界は、広くて大きい。
とくにカリッシミの《スコットランド女王のラメント(嘆きの歌)》という長丁場を語り歌う平井さんは、20世紀イタリアのルイージ・ダッラピッコラ(1904〜75)作曲の同じメアリー女王の嘆きに寄る《とらわれ人の歌》の大合唱に匹敵する強靭な訴えを秘めている。一方、佐野さんの独奏によるフレスコバルディの《アリアと変奏》が、これまた聞き逃せない名演奏である。
(皆川達夫)

[準推薦]
平井満美子(S)と佐野健二(アーチリュート)による、バルバラ・ストロッツィを中心とした初期バロックの作品集成。この二人による録音は、1990年代はじめから多数リリースされてきた。過度な演劇的強調に傾くことなく、リュートとその一族の楽器による伴奏という形態も手伝って、つねに一定の気品と調和を実現してきた。今回は、このふたりが、好きなときに録りたいものが録音できるようにということで、プラヴェート・スタジオにおいて、自ら設立したレーベルへの録音をはじめた2点目のディスクであり、二人による演奏としては最初のディスクにあたる。
《私の涙(ラグリメ・ミエ)》は現在以上に稀であったであろう女流作曲家ストロッツィの、恵まれた芸術的環境と彼女の独創性が刻印された代表的な作品で、大胆な和声に満ちた音楽である。平井満美子は、音楽が求めるさまざまな要素、たとえば弧を描くような大きなフレーズ、急速な装飾的パッセージ、パルランド様式などの交替を適切に織り込んだ歌唱を繰りひろげる。
オラトリオの創始者カリッシミの、《(スコットランドの)メアリー女王のラメント》は、その一部<死ぬ、正義と信頼を守るのに王冠は役に立たない>が取り出して演奏されることがあったが、ここにはカンタータ全体が収録されている。平井の歌唱は、悲劇の女王の宿命を表現するために、果敢なまでの表現を試みている。この特別な作品の全体が聴けるのもこのディスクのメリットである。
(美山良夫)

[録音評]
一般的には珍しいといえる古楽器、アーチリュートを伴奏にした、ルネサンス期のソプラノ・アルバム。残響は長めで主にソプラノに長めであり、残響付加が感じられなくもない。音量の小さめなアーチリュートもソプラノも等しく明瞭にという、ある意味では教科書的な収録と言えようが、それだけに両者クリアに収められている。2007年3月、EMCプライヴェート・スタジオにおける収録。
<90点>
(神崎一雄)

《CDジャーナル》 2007年8月号
リュートの音色はなんと心和ませるのだろうか。それを伴奏にして歌われるイタリアン・バロックのメランコリックで叙情的なうた。平井の歌唱はややこってりとした感触ながら、実に表現が豊か。「私の涙」そして大曲の「メアリー女王のラメント」が聴きもの。
(斎藤弘美)



EMCRecords  イギリスのデュエット集「イングリッシュ・デュエット」


《現代ギター》 2007年11月号
佐野と平井が主宰するアーリーミュージックカンパニーの第3弾アルバムは、16世紀イギリスに活躍した4人の作曲家の作品が取り上げられる。このアルバムで特徴的なのは収録曲のほとんどが多重録音で録られていること。佐野によるオルファリオンとリュートの二重奏や、平井の一人二重唱など、息の合った(?)演奏が聴ける。多重録音であることを感じさせない、極めて自然な流れで、イギリス・ルネサンス音楽の精華を楽しめる。特にオルファリオン(リュートと同調弦で金属弦を使用)の繊細な音色は、聴くものを自然に古雅な世界へ導いてくれる。
(寿)


《レコード芸術》 2007年12月号
冒頭まず、佐野健二さんによるジョン・ジョンソン作曲の《女王のトレブル》が颯爽となり響く。すっかりいい気分になって聞きいった途端、なんとも不思議な二重唱が流れだして、ビックリ仰天。曲目表を見なおして、はじめて納得した。この二重唱は平井満美子さんがお一人で歌っておられるのである。
『イングリッシュ・デュエット』のタイトルのように、平井さんによる歌声を佐野さんのリュートとオルファリオンが支えて、16世紀の末から17世紀のはじめにかけてイングランドで活躍したトマス・モーリー(1557/8〜1602)、トマス・キャンピオン(1567〜1620)、ロバート・ジョーンズ(1597〜1615ごろ活躍)らの二重唱作品を中心に聞かせるCDである。平井さんのまっすぐで透明、節回しも真っ直ぐで自然な歌声に、さすがはカークビー直伝と感心した。
と、そこまではいいのだが、その平井さんが近代技術を駆使した多重録音によって一人二役しておられるのは、正直申して辟易させられた。もちろん演劇でも映画でも一人二役はある。だがそれは同じ人物が二つの異なった役柄の人物を演じるのであって、今回のように同一人物が同質の声と同一の歌詞で二つの声部を歌い、同じ表情で泣いたり笑ったりするのとでは、次元がまったく異なる。
今までにもフルートやヴァイオリンなどの楽器による一人二役の二重奏があったし、このCDでもリュートとオルファリオンの多重録音が聞かれる。それはまだ抵抗ないとしても、こと生身の人間の声にかんする限りは、一人二役されてみると、まるで二人のまったく同一の顔つきのクローン人間が仲よく手をつないで、同じようにほほ笑みながら近よってくるような、そんな気味のわるさが先に立つ。
それも1曲か2曲程度ならまだしも、CD収録全15曲中の4曲が器楽独奏曲、4曲が独唱曲、残りのあと7曲すべてにクローン二重唱を聞かされるのは、もはや生理的心理的な許容範囲を越えてしまう。
音楽における「声部8パート、シュティンメ)」とは、声楽と器楽とのいずれを問わず「異質なものを複数重ねあわすことによって全体の調和を作りあげる構成要素」ではないだろうか。
(皆川達夫)

[準推薦]
前作「私の涙」からそれほど間をおかないで、二人の新しい録音に接することができた。二重録音とのことだが、声質や演奏スタイルの同質性をもとめるなら、同じ音楽家が二重奏、二重唱したほうが好ましいわけだ。声と声、リュートとオルファリオンという一人二重録音のほかに、二重唱にリュート、オルファリオンという編成の多重録音も含まれている。
今回の録音曲目は、エリザベス1世のリュート奏者であったジョン・ジョンソンの作品、ロバート・ジョーンズ、トマス・キャンピオンといったリュート歌曲作曲家、そしてモーリーの作品から選ばれているが、ジョンソンの《グリーンスリーヴス》(変奏曲)などをのぞけは、小品と呼んでも差し支えない作品ばかりである。その《グリーンスリーヴス》(二重録音)では、両楽器のアンサンブルが、きわめて密度たかくおこなわれ、アーテキュレートが美しい。キャンピオンの《光の創造主》における、切々と訴えかけるような、しかし演劇的にはならず品格を失わない歌唱には、このジャンルを長年手がけてきた平井満美子ならではの出来栄えである。いつもの丁寧な音楽づくりは、ここでも揺るぎない。
(美山良夫)

[録音評]
アーリー・ミュージックに特化した同レーベルからのCD第3弾。注目されるのは多重録音を多用したアルバム構成で、ルネサンス・リュートと珍しいオルファリオンのデュエットや、ソプラノの二重唱などをつくりあげているのが興味深い。15曲中11曲がオーヴァー・ダビングという多用ぶり。どれもなかなか自然な仕上がりだが、演奏側も製作側も楽しさと同時にけっこうな努力と苦労も味わったのでは。EMCプライヴェートスタジオでの2007年8月の収録。
<90点>
(神崎一雄)

《CDジャーナル》 2007年12月号
リュート・ソングの専門家二人が設立したEMC Recordsからの3枚目。二重唱(奏)を多重録音したトラックが多いがまったく不自然さはない。ややオフ気味ながら親密な音像が、エリザベス朝の雅で生気に満ちた世界へ誘う。透明に飛翔する二重唱がとりわけ魅力的。
(友)

《音楽現代》 2008年1月号
注目盤

佐野健二と平井満美子によるリュート歌曲の三枚目。エリザベス朝の作曲家のデュエット等を収録。当盤の特徴はスタジオでの多重録音。佐野はライナーノートで、多重録音を「分身の術」と称し、各人が変奏した分身と共演する写真(佐野とサノ等)を掲載するなどして洒落ている。多重録音は非音楽的とまでは言わないが、呼吸や間合いにタイトな感じがして、正直言ってやはり息苦しい感じは否めない。とはいえ、リュートの佐野はもとより、平井もノン・ヴィブラートの涼やかな美声を聴かせて、曲の様式に適った解釈はまさにどんぴしゃ。特にキャンピヨンの《もしそんなに知りたいのなら》は言葉の襞までデリケートに表情豊かに歌いこんで心に沁みる。
(那須田務)


EMCRecords  イタリアバロック歌曲集Vol.2「アリアンナの嘆き」

《音楽現代》 2008年8月号
推薦盤

平井満美子と佐野健二によるイタリア初期バロックの歌曲集。何が原因か分からないが、この録音、両者の響きが融合せず、とくに歌においてどこか不自然で金属的な感じを覚える。それはさておき、同アルバムは構成が見事。ライモンドのリチェルカータで始まり(その後も随所にソロを挟む)、カリッシミ、ストロッツィにモンテヴェルディの《アリアンナの嘆き》で締め括るというもので、平井のソプラノは声も歌唱様式もこれらの作品に相応しく、テキストの色濃い情念を艶やかに歌い上げる。アーチリュート等を弾く佐野のソロや通奏低音はベテランの風格。とりわけ、息の合ったデュオで緩急自在かつ劇的に聴かせる《アリアンナの嘆き》がすばらしい。
(那須田務)

《レコード芸術》 2008年8月号
準推薦盤
[準推薦]
ソプラノの平井満美子さん、アーチリュートの佐野健二さんのコンビによる「イタリア・バロック歌曲集-2」である。タイトルにされたクラウディオ・モンテヴェルディ(1567〜1643)の<アリアンナの嘆き>を棹尾に飾り、ジャコモ・カリッシミ(1605〜74)の<泣け、おお泣け>や<おお思い出よ>をはじめとする独唱作品6曲を軸に、リュート独奏曲を髄所にちりばめている。
解説書に付されたイタリア語歌詞対訳が平井さんご自身によることからも明白なように、歌詞の内容を十全に生かした歌唱である。ひとつひとつの言葉を的確に語りあげ、歌詞と音楽とが完全に一体化している。とくに<アリアンナの嘆き>が秀逸で、望ましい抑制の中に絶海の孤島に捨てさられた乙女の訴えが鮮烈に歌い上げられる。
反面、カリッシミやバルバラ・ストロッツィ(1619〜64ごろ)らの作品になると、劇場をはらんだ歌詞を協調するためか、やや力みが加わって平井さんの透明な歌声が多少曇ってしまったことが惜しまれる。
佐野さんのアーチリュートによる演奏は、いつもながら手なれたもの。ジロラモ・フレスコバルディ(1583〜1643)の<トッカータとカンツォーナ>はもとより、パレストリーナ(1525ごろ〜94)の名マドリガーレ<春は野に山に>の器楽編曲に心たのしく聴きいった。なお解説文に「ローマの聖ピエトロ寺院の・・・」と記されているが、仏教用語との混用は望ましくない。
(皆川達夫)

[準推薦]
それほど間をおかずにリリースされる平井満美子(S)と佐野健二(アーチリュート)による録音だが、丁寧な音楽つくりに加えて意欲的な曲目を織り込んだプログラム構成の巧みさが今回も光っている。アルバムのタイトルであり、最後におかれたモンテヴェルディ<アリアンナの嘆き>が図抜けて有名であるとしても、それに比肩する創意をもった大曲を織り込んだ構成は、昨年発売された『私の涙/イタリア・バロック歌曲集』同様である。同じバス音型をくりかえすパッサカリア形式の形を下敷きにしたサンチェスのカンタータや、モンテヴェルディの<主を讃えよ>(ラテン語歌詞)など内容は多彩だ。声楽家にとっては、ブレスなしで一気に歌うパッセージや、ストロッツィのように装飾音型の美しい歌唱が求められるなど、音楽の要求につぎつぎ応えなくてはならない。その課題にチャレンジする姿勢は、新しい録音でも変わりない。
<アリアンナの嘆き>を含め切々と訴えかけるような歌唱における、こぼれるような美しさ、演劇的表情過多を避けた気品は、いままでの彼女のレコーディングの美質を受け継いでいる。なお"前奏・間奏曲風に"はさまれさ佐野健二の独奏は、ピエトロ・パオロ・ライモンディの作品。モンテヴェルディと同時代人というが、ほとんど知られることのない作品に光をあてた貴重な体験が可能になっている。
(美山良夫)

[録音評]
残響感は非常に豊かなのだがソプラノもアーチリュートもほぼ2本のスピーカーの中欧に固定されていて、ステレオとしての音響空間を聴かせるのではなく、音場感としての開放感は薄い。音響的なスペクトラムも低域が減衰しているため若干硬めの音になっているようだ。たっぷりとしたエコー感もやや人工的な印象があり、ふくよかな響き感とはやや異なるようだ。
<87点>

《CDジャーナル》 2008年8月号
古典的な様式感を保ちながらも深い悲しみの真情を披瀝する「アリアンナの嘆き」に強い感銘を受ける。うわべの美しさをつくろった浅薄な演奏とは次元の異なる高い境地と言ってよい。イタリア古楽の粋を極めんとする平井と佐野の研鑽に頭の下がる思いである。
(山下義彦)

銀座山野楽器本店広告より
世界でも珍しい、ルネサンス、バロック時代のリュート歌曲のスペシャリストとして活躍している、平井満美子(ソプラノ)と佐野健二(リュート)の主宰する「アーリーミュージック・カンパニー」の独自レーベル「EMC RECORDS」。良質な録音を送り出してきたそのレーベルの最新盤は「アリアンナの嘆き」。イタリア・バロック時代の歌曲をリュート伴奏で歌う注目シリーズの第2弾です。有名なモンテヴェルディの「アリアンナの嘆き」をはじめとする感情表出の激しい作品の数々を、優れた演奏で聴かせてくれます。ライモンドのリュート独奏曲を間に挟んだそのこだわりの選曲にも注目です。古楽ファンなら見逃せないアルバムです。



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