過去のコンサート評一覧 (上から古い順に並んでいます。)

《音楽の友》 1990年8月号
リュート奏者の佐野健二とソプラノの平井満美子による《歌とリュートによる名曲の調べ》(6月13日・豊中アクアホール)では、
ルネサンスからバロック期にかけてのリュート・ソングやリュート・ソロが演奏された。
佐野は、演奏される作品に合わせて6コースおよび7コースのルネサンスリュート、14コースのアーチリュート、
5コースのバロックギター、13コースのバロックリュートと、5種を使い分け、多彩な音と響きを楽しませたが、
何より演奏そのものが楽しかった。
平井の声はきわめて透明感に溢れ、ノン・ビブラート唱法も美しく、しかも適度な情感に満ちているし、
佐野も生き生きとしたリズム感でソロと伴奏に、その持ち味を発揮した。
ますますの活動を期待したい2人である。
(1990年6月13日・豊中アクアホール)


《音楽の友》 1991年12月号
「アーリー・ミュージック・カンパニー」は、リュートの佐野健二とソプラノの平井満美子に、リコーダーの松田佳代を加えた
グループだが、今回は17世紀イタリアのカッチーニの歌曲集「新音楽」を中心に、同時代のピッチニーニや、
フレスコバルディなどの器楽曲を交えた演奏会を開いた(10月21日・大阪倶楽部)。
意欲的でまた楽しくもある演奏だったが、その源になったのは佐野のリュートや、キタローネ、バロック・ギターだった。
曲の様式を十分に踏まえた演奏は、さすがといえるものだった。
<出谷啓>
(1991年10月21日・大阪倶楽部)


《音楽の友》 1993年2月号
アーリー・ミュージックに意欲的な活動を展開しているソプラノの平井満美子とリュート及びキタローネの佐野健二による
デュオ・コンサート(12月9日・豊中アクアホール)は、バロック初期のカッチーニと中期のパーセルの歌曲を中心に、
カプスベルガー、ナウヴァッハの作品を織り交ぜたプログラム。いずれもオーセンティックな表現に、
適切で情感に満ちた美しい表情が乗った演奏であり、とりわけ平井の以前にも増しての充実が目覚ましい。
カッチーニも美しい歌唱であったが、特にパーセルでの表情の豊かさは印象深い。
<福本健一>
(1993年12月9日・豊中アクアホール)


《音楽の友》 1994年1月号
ソプラノの平井満美子とリュートの佐野健二によるアーリー・ミュージック・デュエット(11月4日・豊中アクアホール)は、
第1部《ジョン・ダウランドの生涯》、第2部《イタリア初期バロックの新音楽》と題したプログラム。
第1部では、スティーブンギブスが英語でダウランドの生涯を語る中に、その時々のリュート・ソングやリュート曲を
聴かせる趣向。そして第2部ではストロッツィ、カッチーニ、フレスコバルディ、カプスベルガー、モンテヴェルディの歌曲や
リュート曲が並べられた。演奏は、いずれも端正でいて情感に溢れた表情が魅力的なもので、とりわけ平井の歌唱は
味わい深い。
(1994年11月4日・豊中アクアホール)


《音楽の友》 1995年12月号
バロックのリュート・ソングやリュート独奏曲などを主なレパートリーとして恒常的な活動を続けている
ソプラノの平井満美子とリュートの佐野健二のデュオ・リサイタル(9月29日・音楽の友ホール)を聴いた。
カッチーニ、モンテヴェルディ、ダウランドの歌曲にフレスコバルディのリュート曲を配した前半と、
没後300年を記念してパーセルの歌曲と彼の他の器楽曲からのリュート用編曲を配した後半で、
全16曲が演奏されたが、特に印象的だったのは平井の歌唱が一段と自由闊達さを増していたことで、
中でもダウランドでの共感度の強さ、パーセルでの巧みな感情起伏の表出が感銘を与えた。
<福本健>
(1995年9月29日・音楽の友ホール)


《音楽の友》 1998年11月号
第22回を迎えた<佐野健二リュート音楽の楽しみ>では、常連のソプラノ平井満美子のほかにバロック・ヴァイオリンの
ロバート・ブラウン、チェンバロのミッチ・メイヤーソンを迎えたことで、いつもとはかなり異なる雰囲気のプログラムが組まれていた。
つまり4人が出演してのフランチェスカ・カッチーニ、モンテヴェルディ、フレスコバルディ、カンプラの歌曲やカンタータ、
ソプラノとリュートによるジュリオ・カッチーニの歌曲、ソプラノ、チェンバロ、リュートによるフレスコバルディのアリア、
リュート・ソロによるピッチニーニのパッサカリア、ヴァイオリン、チェンバロ、リュートによるカステロのソナタ、チェンバロ・ソロによる
フォルクレのポルトレといった具合である。そして演奏は、そうした多彩なブログラムと、ふたりのゲスト器楽奏者の
快活さと表情豊かさが関係してだろう、いつにも増して楽しめるものとなった。
(1998年9月1日・千里阪急ホテル・チャペル)


《音楽の友》 1999年10月号
<佐野健二のリュート音楽の楽しみ>と題されたコンサートは、1995年1月から千里阪急ホテルのクリスタルチャペルにおいて
隔月で開催されているが、この夏はそのシリーズの特別企画として『真夏の夢次元フェスティバル』が開かれ、2日間で
3つのコンサートと1つの公開レッスンが催された。そのうち、まずミッチー・メイヤーソンのチェンバロ・リサイタルを聴いたが、
「フランス・バロックの華麗なるチェンバロの響き」と副題されて演奏されたL・クープラン、ラモー、デュフリ、フォルクレの作品は、
いずれもが実に生き生きとした表情で楽しめる内容であった。メイヤーソンの演奏は、何よりもシャープでいて柔軟性に富んだ
リズム感が魅力で、まさに自在に音楽しているという印象。しかもその表現には閃きに満ちた即興性が感じられ、
チェンバロが単に繊細できらびやかなだけの楽器ではなく、よりダイナミックで雄弁な表現力を持っていることを実感させた(8月5日)。
もうひとつは、<佐野健二のリュート音楽の楽しみ>というシリーズの第28夜で、リュートの佐野健二、ソプラノの平井満美子、
バロック・ヴァイオリンのロバート・ブラウン、そして前述のミッチー・メイヤーソンの出演で、ヘンデルのアリア、カリッシミの歌曲、
F・クープランのチェンバロ曲、コレルリの「ラ・フォリア」、ピッチニーニのリュート独奏曲、パーセルのリュート・ソングなどが演奏された。
様々な国の様々なジャンルの作品でバロック音楽の魅力を伝えようとする内容と思われ、その意味では楽しめるものだったが、
曲によってはもう少し深い掘り下げが欲しいと思われた。
(1999年8月6日・千里阪急ホテル・クリスタルチャペル)


《音楽の友》 2001年9月号
リュートの佐野健二が続けている<リュート音楽の愉しみ>が第40回を迎えた。年6回のペースで、毎回テーマを決めた
プログラムを演奏しているが、今回は<カメラータのもくろみ>と題して17世紀にイタリアで展開された新しい方向を示した音楽、
つまりカッチーニ、フレスコバルディ、ストロッツィのリュート伴奏の歌曲(ソプラノは平井満美子)、そしてピッチニーニ、
カプスベルガー、サンティーノ・ガルシのリュート独奏曲が演奏された。歌曲における平井は、以前より少し声が重くなった
感じだが、相変わらず清楚でいて感情豊かな歌唱を披露し、この時代の特徴といえるドラマティックな表情表出を
巧みに歌い上げて好演。その伴奏を含めて佐野のリュート演奏も、かつてより一段と安定感を増すと同時に
表現も一層自在さを増しており、魅力的な内容となっていた
<福本健>
(2001年7月18日・千里阪急ホテル・クリスタルチャペル)


《音楽の友》 2002年10月号
3夜で3方向から彼らの活動を映し出す夏のフェスティヴァル第3夜。
ド・ヴィゼの「バロック・ギター組曲」では、瀟洒な趣味の作品に佐野健二(リュート)が細心の姿勢で対峙。
ヴィヴァルディのカンタータ《エルヴィーラ、我が魂よ》の平井満美子Sは柔軟性と核心を併せ持ち透明感ある歌唱、
チェンバロのミッチ・メイヤーソンが雄弁で爽快だ。バッハ「プレリュード・フーガとアレグロ」の佐野は全体を俯瞰する
自然な流れが美しい。
エウローパ・ガランテの一員、ロバート・ブラウンは、タルティーニのソナタで徐々に安定感を増し、
バロック・ヴァイオリンの音の居住まいを届けた。「二度と聴けないかもね」と紹介する稀少作、リヒターの組曲は、
ミッチが揺るぎない力量を発散、これほどのチェンバロを聴く幸福に酔う。ヘンデルのカンタータ《恋する魂は》での
平井のひと回り豊かになった好唱で結ぶ。この種の演奏会でも高水準の一夜。
<響敏也>
(2002年8月9日・千里阪急ホテル・クリスタルチャペル)


《音楽の友》 2004年5月号
リュートの佐野健二を中心とするアーリーミュージックカンパニーは、95年からクリスタルチャペルコンサートを続けているが、
今年は第77回から第82回までを通して「リュート・ソングの様々」と題したシリーズを組んでいる。
その第78回では、フランヅ・ルネアsンスのシャンソンと宮廷の歌が集められ、16世紀及び17世紀のリュート・ソングやリュート曲、
あるいはギター曲が佐野健二(使用楽器は14コースのリュートと4コースのルネサンス・ギター)とソプラノの平井満美子によって
演奏された。平井は以前にも増して声の表情が豊かになっており、曲の内容によって明暗を巧みに使い分け、荘重に、
愛らしく、お茶目にといった様々な声の表情を聴かせて楽しませた。佐野の共演ぶりも手馴れた感じで、自然さが良い。
佐野のソロも安定感のある演奏で、特にルネサンス・ギターは、見た目の小ささに比べての強い音と表現力が魅力的であった。
<福本健>
(2004年3月17日・千里阪急ホテル・クリスタルチャペル)


《読売新聞》 2006年12月21日夕刊 <音楽の窓>
「グリーンスリーブス」や古いキャロルを聴いてlそれが「イエスタデイ」や「ヒア・カムズ・ザ・サン」のルーツの一つだと端なくも感じさせられた。 
いずれも素朴だが、凛とした清澄な響きがスッと胸に沁みる。ソプラノの平井満美子、リュートの佐野健二、ビオラ・ダ・ガンバの平尾雅子が
奏でる英国16,17世紀の静かな調べに師走の喧騒をしばし忘れて聴き入った。
演目は「グリーンスリーブス」や「アニー・ローリー」等の民謡、キャロル、当時有名だったヒュームやシンプソンの器楽曲、そして今ナオ
大家として遇されるダウランドとパーセルの曲からなる、多種多様なもの。軽妙洒脱な解説を挿みつつなされた演奏は実に楽しく、
美しかった。
何よりも魅せられたのは、歌、それに楽器の繊細な響きだ。そこでは露骨な表現や大仰な身振りは一切なく、しかも却ってそのことで
1音1音が強い表現力を持つ。平井が透明な声で歌うダウランドの「流れよ、わが涙」や、パーセルの「つかの間の音楽」の
なんと鮮烈だったことか。あるいは、佐野がリュートで飄々と爪弾くパーセルの「グラウンド」や平尾がガンバで愛おしげに奏でる
「やさしくさわって」の響きのなんと味わい深いことか。
こうした音楽の魅力には、それが私たちが日頃親しむ音楽とは相当異なったセンスによるものだということも与っていよう。
音楽が一挙に時空を超えて古の世界を生き生きと眼前に蘇らせてくれるのである。
ただし、それには豊かな想像力とそれを活かす卓越した手腕が演奏者に要求される。
だが、3人の音楽家はこの点、実に見事であり、当日の聴衆の熱い反応を引き出すのに成功していた。
もちろん、異世界がもたらす新鮮さだけが魅力なのではない。ビートルズにも相通じる、何か多くの人に語りかける魅力が、
この英国の古の調べに、そして今回の3人の演奏にはある。
この安らぎの調べ、機会があれば多くの人にも聞いてもらいたいものだ。
<大久保賢>
(2006年12月10日、兵庫県立芸術文化センター小ホール)
記事画像はこちらをご覧ください。


《音楽の友》 2007年6月号
リュートの佐野健二が主宰するアーリーミュージックカンパニーは、1995年1月からかなりの頻度で、チャペル・コンサートを開いており、
今回が第96回目。「メランコリーの愉しみ」と題して、ジョン・ダウランドのリュートソングとリュート独奏曲を演奏した。
リュートソングでのソプラノは、佐野の良きパートナーである平井満美子で、《暗闇に住まわせておくれ》《流れよわが涙》《来たれ、重い眠り》
などの代表曲を7曲歌ったが、少しハスキーがかってきた感のある声と豊かな表情は魅力的であり、一段と味わいを深めていた。
リュート独奏曲は4曲演奏されたが、もう少し技術的なシャープさが欲しいと思われたものの、ルートソングを含めて、
2人の奏者の古楽に対する愛情深さが感じられた充実した内容。
そのうち数曲は金属弦を張ったオルファリオンで演奏されたが、その音色も大変興味深いものであった。
休憩なしの1時間ほどのコンサートだが、その中身は濃い。
<福本健>
(2007年4月5日・千里阪急ホテル・クリスタルチャペル)



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